身体論的アプローチで“違い”に興味をもつ<前編>

~東京工業大学准教授 伊藤亜紗氏~

 

Dr. Ito

 

見えない人は、見える人とは異なる世界のとらえ方をしていると考えている伊藤亜紗先生。伊藤先生の研究から、見えない人と晴眼者の共生についてあらたな視点が得られるのではないかと思い、お話をうかがいました。

 

“平等”を求めても必ず“違い”は生まれる

目の見えない人、見えにくい人は、どのような体の使い方をし、どのように世界を認識しているのかを、身体論を元に研究している伊藤先生。福祉的な視点と身体論的な視点についてこう話してくれました。

 

「福祉の最終的なゴールは健常者との違いをなくすこと、つまり“平等”ですが、“平等”と言われるとちょっと苦しいなと思って。例えば、見えない人が行きたい場所に行くために、福祉的なサポートとしては点字ブロックの設置などがありますよね。確かに行けるようにはなるけれど、晴眼者が目で見て道を歩くのとは体験として違う。『行く』という点では同じでも、違いは必ず生まれるんです。だから、ダイレクトに身体レベルの違いに注目しようと思いました」

 

福祉的なサポートと身体論的なアプローチは車の両輪。補完しあうものというのが伊藤先生の考え。「障がい者にとってのバリアをなくすことは大事だけど、違いに興味をもち、違いについて楽に話せるようになるといいなと思います」

 

健常者が捨ててしまう感覚を、捨てずに使っている

見えない人、見えにくい人は、周囲の刺激に敏感なイメージがありますが、伊藤先生は違う解釈をしています。

 

「敏感というよりも、健常者が捨ててしまっている感覚を、捨てずに使っているということだと思います。部屋の中では音が壁に反響するので、目が見えない人は聴覚を使って部屋の広さや形を知ろうとします。健常者は、反響音を聞かなくても部屋の様子がわかるので、意識しないですよね」

 

また、目の見えない人、見えにくい人は、手で触った感覚を頼りにすると思いがちですが、それほどではないようです。

 

「健常者よりはものを触るけれど、触るのは最小限にしようとしていますね。手当たりしだいにものを触ることが、常識的、社会的に失礼なことだという認識は目の見えない人、見えにくい人も同じように持っていますから」

 

足の裏の感覚や顔や風に当たる風を意識するなど、手で触らなくても空間認知ができる方法を編み出している人が多いそうです。

 

「見える」をアウトソーシングする

「自立とは依存先を増やすことである」とは、脳性まひを持つ小児科医、熊谷晋一郎さんの言葉。伊藤先生は、「依存」を「アウトソーシングみたいなもの」と言います。

 

「私たちは、皆依存して生きています。自分だけが依存しているのではなく、誰かに依存されている。『つながり』とか『絆』も、言いかえれば依存です。自分で全部やろうとするのではなく、できないことをいかにアウトソーシングするか。見えない人は『見える』をアウトソーシングしている感じなんです」

 

そして、見えない人はアウトソーシングの技術がとても高いと言います。サポートしてくれる人がいる施設、店員さんがメニューを読み上げてくれるカフェなど、よく情報交換しているそう。晴眼者は、「助ける」ではなく、「アウトソーシングを受ける」という感覚を持つといいのかもしれません。

 

後編では、晴眼者と目の見えない人、見えにくい人をへだてる「善意のカベ」についてお話しいただきます。

 

伊藤亜紗(いとう・あさ)

1979年、東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツセンター准教授。専門は美学、アート。日本学術振興会特別研究員を経て、2013年に現職。著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)など。

この記事をシェアする

     

この記事を評価する