身体論的アプローチで“違い”に興味をもつ<後編>

~東京工業大学准教授 伊藤亜紗氏~

前編はこちら

 

見えない人がどのように世界を認識しているかを研究している伊藤亜紗先生。後編では、晴眼者と目の見えない人、見えにくい人をへだてる「善意のカベ」というキーワードからお話をうかがいました。

 

配慮はカベになることを、見えない彼らが教えてくれた

晴眼者が目の見えない人、見えにくい人に出会うと、「どんなサポートをすればいいか」と考えがちです。ですが伊藤先生は、 “困っている前提”で関わられること自体が困ってしまうのでは、と言います。

 

「『助けなきゃ』という配慮のマインド、善意のカベが両者をへだててしまうと思うんです。もちろん、助けてほしいときもあるけれど、そんなに忖度しないでほしいということは、私の知っている目の見えない方はよく言っていますね」

 

伊藤先生も、目の見えない人へのインタビューを始めたころは、相手に気を遣っていたと言います。すると、「いやあ、ボクはめくらめっぽうでねえ」とギャグが飛んできたそう。

 

「彼らは特別視されているのがわかっているから、相手を和ませようとするんです。でも、素直に笑えない自分に気付いたとき、『私は気を遣いすぎている』と思ったんです」 配慮がカベになるなら、配慮はいらない。そのことを教えてくれたのは、見えない彼らだったのです。

 

最大のコンテンツである“違い”に興味をもつ

こと障害が話題なると、“違いをなくす”ことがテーマになりがちです。「でも、人と話すときは“違い”って最大のコンテンツですよね。例えば、ウチではスイカに塩をかけたとか、ウチでは砂糖だったとか。自分にとっての当たり前が崩れて新しい世界が開けるから、違いの話ってすごくおもしろい」

 

「どうして塩なの?」「じゃあ、どうして砂糖なの?」と思わず身を乗り出してしまうのと同じように、見えないことに興味をもとうというのが伊藤先生の考えです。

 

「掘り下げるという感覚に近いですね。以前、見えない人が見える人に、『そっちの世界もおもしろいね』と言ったことがあって、はっとしました」 「スイカのそんな食べ方があるんだ」という感じで、「そんなふうに周りを確認するんだ」と見えない人の世界に興味をもつことができれば、もっと楽につきあうことができるのです。

 

自然に体験を共有できたらカベはなくなる

「見えなくなってから、毎日がはとバスツアーになった」これは、ある目の見えない方が伊藤先生に言った言葉。サポートしてくれる人が、ここに何がある、あそこに何があると、逐一説明してくれるからだそう。ですが、それほど細かい情報を欲していないのが現実のようです。

 

「自分のいる環境を、自分で認知するというのは喜びなんです。でも全部情報として与えられてしまうと、その喜びが奪われてしまうんですね」

 

視覚以外の感覚を駆使して、自分なりに世界を把握する。情報が自分自身と紐づいた瞬間、それはただの情報ではなく「意味」になるのです。 「『あそこに花が咲いてます』ではなく、花の香りを感じながら、『甘い香りですね』とか『気分が明るくなりますね』と一緒に味わうことができたら、体験を共有できる。自然に共有できたら、もうカベはなくなっているんです」

 

「助けてあげる」「助けてもらう」ではなく、互いの違いに目を向けて、そこに興味をもって関わること。これが、共生の第一歩ではないでしょうか。

 

伊藤亜紗(いとう・あさ)

1979年、東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツセンター准教授。専門は美学、アート。日本学術振興会特別研究員を経て、2013年に現職。著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)など。

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