勇気を出して走ると世界が変わる<後編>

~盲人マラソンランナーインタビュー~

思い切って走るために、マラソンの伴走を頼むことに決めた西島美保子さん。紆余曲折あって実現にこぎつけ、いよいよリオ・パラリンピックへ。

大きな経験をした今、西島さんの目は2020年を見据えています。

 

 

走ることへの熱意が同じ伴走者がいい

出場資格が必要な公式のレースに初めて出場したのは、約15年前。オリンピックの選考レースでもあり、1分1秒を争う大会です。

 

「当たり前のことですが、遅い人なんていません。成績次第では翌年の出場資格にも関わるので、失敗は許されません。そこで初めて伴走をお願いすることにしました」

 

でも、女性用の公式なレースに男性の伴走者がつくという前例がなく、手続きは難航したそうです。実現したのは、3回目に出場したとき。周りの人たちの努力もあって、公式のレースに伴走者とともに出場することができたのです。

 

大会のルール上、伴走者は二人まで、とされています。西島さんは、何かあった場合のリスクを考慮し、二人の方に伴走をお願いしました。伴走者は試合前の練習や合宿も一緒に参加するため、フルマラソンを走りきる力のある方が必要でした。


「伴走者との相性は大事ですね。走ることに対しての熱意が同じでないと、難しいんです。それに、フルマラソンを走りきる力のある人を二人お願いしないといけない。ハードルは高かったですが、伴走してもらうことにより、コースの説明、路面状況の把握、給水もずいぶん楽になりました。私は走ることに集中することができ、不安が一気に解消されました。」

 

伴走者という強い味方を得た西島さんは、いよいよ大きな目標に向かって走り出します。

 

 

苦しい練習で勝ち取った夢が大きな自信に

2013年に、パラリンピックの女子マラソン強化選手に選ばれた西島さん。ですが、当時はまだ女子マラソンは正式種目にはなっていませんでした。

 

「それまでは、リオで正式種目になればいいなという感じでしたが、全国から6人の強化選手に選ばれたことで、絶対に出たいという気持ちに変わりました。選手と伴走者が集まって合宿をする中で、その気持ちはどんどん強くなりました」


月に1、2度、千葉や長野で行われる合宿での練習は厳しいものでした。だからこそ、パラリンピックへの思いも強くなったそうです。そして努力の甲斐あって、西島さんは代表選手に選ばれました。

 

「文字通り、夢が叶いました。44歳でマラソンを始めて61歳で日本代表ですからね。苦しい練習を続けて勝ち取った夢。本当にあきらめなくてよかったと思いました。私にとって大きな自信になりました」

 


2020年の東京パラリンピック出場を目指して

リオから帰ってきて、西島さんは多くの人に声をかけられるようになりました。勇気をもらった、応援していますなど、ずいぶん背中を押されたそうです。

 

「今年、『ランナーズ』という雑誌の『全日本マラソンランキング』で、全国の61歳の中で一位になりました。健常者も含めての一位なので、とても価値があります。また一つ、喜びが増えました」

 

今の目標は?と聞くと、「2020年です」と即答。「リオで結果が出せなかったのが、本当に悔しくて。あんなに練習したのに、途中棄権というのはつらかったです。しばらくは何もやる気になれませんでしたが、少しずつ走り始めたら、練習にも身が入るようになりました。東京でのパラリンピックに出場するのが目標です!」

 

最後に、これからマラソンを始めようとする人へのアドバイスをうかがいました。

 

「まずは、誰かと一緒に外を歩いて風景を説明してもらったり、楽しく話したりしながら歩くことから始めるといいと思います。そして、慣れてきたら軽くジョギングを始めてみる。最近は視覚障がい者を中心としたランニングクラブが、全国に数多くあります。私の住む福井県でも伴走者、伴歩者がおられ、ジョギングやウォーキングを楽しんでいます。見えないと、外に出ること自体が不安ですからね。伴走者については、すでにやっている人に聞いてみるといいですよ。探すとけっこういますから」


閉じこもらずに外に出ること、色んな人と交流すること。その楽しさが、走る原動力といえそうです。

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